縦波と横波

大阪大学の入試で大学の想定していた解答が間違いだった件について。

このたび、本学において、平成29年度大阪大学一般入試(前期日程)等の理科(物理)における出題及び採点に誤りがあったことが判明いたしました。そのため、改めて採点及び合格者判定を行い、新たに30名を合格者としました。

http://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/topics/2018/01/06_01

問題文も公開されています。*1
それを見てしばらく考えてもわからなかったのですが、ネットで調べて納得できたので忘れてもいいように記録しておきます。

理解するために必要だったものは、結果から考えると以下の2つだけです。


1.音は空気の圧力が高い状態と低い状態を繰り返す疎密波である。
2.疎密波は壁などの固定端で反射されても位相はかわらない。


この2つの条件から考えると、音が強まるためには壁で反射して帰ってくる距離の2dが波長の整数倍であればいいことがわかります。阪大の想定した1/2波長ずらす答えは間違いで、残りの2つが正解。2つあるのは整数倍に0を含めるかどうかの違いです。
条件のうち最初の音が疎密波であるというのは問題文でも書かれているのでいいとして、壁などの固定端での反射で位相が変わらないという条件は正しいのでしょうか。
その疑問には以下の動画が参考になります。バネを使った実験で、単発のパルスが反射される状態が確認できます。


とまあわかってみれば単純なのですが、なぜわかりにくいのか。これは自分で考えてわからなかっただけでなく、阪大の教授が指摘を受けてもなおわからなかったという点からも、ややこしい問題であることは確かでしょう。
間違いがおきやすい理由として、音を表すのに疎密ではなく空気の移動量である変位を使う方法もあることが考えられます。教科書などで音を正弦波で表しているときは、疎密ではなく変位を表していることも多いようです。そして疎密でも変位でも変化量は進行方向と同じであるのに、正弦波として表記すると横波のように感じられるのも間違いやすさの原因でしょう。
変位量で考えた場合にも正しい道筋であるならば、結果は同じになるはずです。これは結果としての物理現象が一つであるので、そこにいたる道筋が違っても同じ結論にいたるはずだからです。

変位量で考えた場合にややこしいのは、変位量の場合は壁で反射した場合に位相が反転することです。そのためパイプなどの共振の説明では、壁にあたるパイプの底が波の節になります。これは進行波と反射波の位相が逆なのでパイプの底ではどの時点でも変位量が相殺されてゼロになるからです。
しかしそうすると疎密波で考えた場合と答がかわってしまうのではないか。阪大が最初に想定した1/2波長ずれた長さが正しくなるのではないか。これがなかなか理解できなかった部分です。
しかし、結果となる物理現象が一つである以上、異なる結果が出るならば現象ではなく理論に間違いがあるはずです。

変位量で位相が反転するのは進む方向が逆になるからというのが間違いを引き起こす要因でした。壁で反射して変位の向きが変わることで位相が反転する。このことに間違いはないのですが、変位量で考えた場合には音の向きによっても位相が変わってしまうわけです。
つまり音叉から左右に音が出る場合にも、疎密波だと同位相なのですが、変位量だと逆位相になってるわけです。これは進行方向への変位であっても、左向きの音と右向きの音では変位が逆になるからです。
つまり変位量で考えた場合には、壁の反射で左向きのおとが逆位相になるけれど、それは右向きの音とは同位相になるということです。なので、変位量で考えた場合にも2dが波長の整数倍のときに音が大きくなるという結論になり、めでたく疎密波での答えと同じになります。


(追記)
12日に阪大から問題に関する説明が追加されたようです。*2
それによると音叉の振動が特殊な場合には音叉の左右の音の位相が逆になる為、最初に阪大が正解とした1/2波長ずれた場合も正解になるとの説明がされています。しかし、その前の問題では通常のモードで音叉が振動していることを前提としているので、なかなか苦しい説明だという印象です。

何をお気の毒に思うか

「子宮頸がん予防ワクチン(HPVワクチン)について - 科学と生活のイーハトーヴ」*1から引用。

ここには、HPVワクチン接種後に生じた症状について、村中さんが、被害者団体などからさまざまな抗議や圧力を受けたことが述べられています。
 その抗議や圧力がどのような理由に基づくものなのか(たとえば、村中さんの主張内容に対するものなのか、患者への取材方法の適切さに関するものなのか)は明らかにされていませんが、ご家族も含めて、日常生活を脅かされるような思いをされたようで、お気の毒に思います。

http://blog.ihatovo.com/entry/2017/12/14/184223

ぱれあな (id:pollyanna) さんがお気の毒に思う村中さんですが、こんな記事も書いてます。
「子宮頸がんワクチンとモンスターマザー  WEDGE Infinity(ウェッジ)」*2より引用。

周辺取材から明らかになった事実


 母親は、少女が小学生の頃から学校では知られた人物。「娘がいじめられている」と言っては、少女が副キャプテンを務めるクラブ活動の、キャプテンの少女やその親などに繰り返しクレームをつけていた。

 中学に入り2年生になった時、ある事件が起きた。部活動中の体育館に突然乗り込んできた母親は薬袋を示し、他の部員が心労をかけるため娘は心の病になったと主張。部員と父母会、学校に謝罪させた。処方されていたのは偏頭痛のための鎮痛薬だった。同学年の部員は全員部活を辞めた。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6587

接種後に重篤な症状が出たらということを考えるなら、村中さんのようなジャーナリストが突撃取材してきてモンスターマザー呼ばわりされる心配もした方がいいのではないでしょうか。

数学の問題と現実の問題

ツイッターに書かれていた数学の問題から。

《平等に分けるには?》
家族は6人。お父さんが正方形のチョコレートケーキを図のように切り分けようとしたところ,娘が「その切り方だと,真ん中の二つだけチョコレートのコーティングが少なくなる」と指摘しました。体積だけでなく,表面のチョコレートのコーティングも平等に6等分するには?

https://twitter.com/Newton_Science/status/924878739447484416


数学の問題として考えるなら、周囲のチョコレートのコーティングが同じ量になるためには正方形の周囲の長さを6等分にできればよく、正方形の切り分け問題として考えることができます。


正方形の周囲の長さを6等分にして、かつ面積も6等分になるように直線で切り分けるには?


という問題を解けばケーキの問題も同様にして解くことができます。正方形の1辺の長さを1とすれば周囲の長さは4で、4割る6だからそれぞれ3分の2の長さを持つように切り分け、面積は6分の1になるようにすればいいわけです。
例えば底辺が3分の2で高さ2分の1の三角形などは、この条件を満たします。


数学の問題ではなく、問題文に書かれているような家族でのケーキを現実に切り分ける場合だと別の方法も考え付きます。
まずケーキの側面を2つ切り落とせば、6つの長方形に切り分けてコーティングの量も同じにすることができます。
最初に切り落とした分も6等分すれば、6人に同じ量だけでなく形も同じにすることが可能です。


出題者の意図としては数学的に解くのが正しいのでしょうが、現実の問題として考えると違う形で面積は同じだと考えればわかる切り分け方よりも、ぱっと見てわかる形も同じわけ方の方が良いのではないでしょうか。

投票と貯金とミクロとマクロ

経済学だと個人の行動のようなミクロの現象と、社会全体でのマクロが違っているように扱われることがあります。例えば個人が倹約して貯金することは良いことでも、皆が貯金すると経済を停滞させるので良くないという合成の誤謬みたいなものがあります。これは、一見するとミクロとマクロで違った法則が適用されるようにも見えますが、単にミクロで無視しているものがマクロでは無視できなくなるという説明も可能です。
例えば大きな船で1人がジャンプしたときにも船は揺れるのだけれどもわずかなので無視してもかまわない。しかし皆が一度にジャンプすると船の揺れは無視できないほどの大きさになる。これは1人のときには無かった物が表われたのではなく、小さくてわからなかったけれどもあった物がまとまってわかるようになったということです。


選挙による投票というのもこれと似たところがあります。1人の一票が当落に関係するとは思えず、投票してもしなくても影響は無いかのようです。しかしこれも影響が無いわけではなく、わからない程度のわずかな影響があって、それが多数集まることで選挙の結果が決まります。つまり経済の合成の誤謬みたいな感じでの一票の誤謬みたいなものがあって、ミクロの行動の集まりがマクロを決めているのだという現実を認識することが出来ないことによって、個人の投票に価値が無いかのように思ったりするわけです。


国というのも同じで、沢山の人が集まった結果として国があるわけで、個人と関係の無いところに別に存在するわけではありません。ミクロとしての個人の考えや行動は国には影響を及ぼさないかのように思えたとしても、国というマクロの存在は個人というミクロの総体として成り立っているので、個別には無視してもかまわないような小さなことが集まって全体を動かしているということです。

ベーシックインカムと人頭税

ベーシックインカムというのは負の人頭税とも言えるのではないかと思いました。1人あたり定額の税を納める人頭税の、税額を負にすれば定額が支給されるベーシックインカムになるというわけです。そうするとベーシックインカムで給付が単純化されるというメリットは、人頭税で徴税の手間が簡単になるというのと同じこととも言えるのではないでしょうか。


現在の先進国で人頭税のような簡略化された税金が無いことからすると、ベーシックインカム的な簡略化された給付も実現する可能性は低いというかほとんどない気がします。しかし人にかかる人頭税ではなく物にかかる消費税は普及しています。ただ消費税は日本だと一律の税率ですが、多くの国では物によって税率が変わる複雑な体系になっていて、簡略化された税とは必ずしも言い切れません。


ベーシックインカムをお金ではなく食料などの現物支給にしたらというのは以前に「ベーシックご飯」*1というエントリーで書きましたが、これも実現性は低い点ではベーシックインカムと同様ですが仮想的な思考実験としてはより具体的ではないでしょうか。ご飯以外にもベーシック医療のような他のものについても考えられます。
また、人頭税をお金ではなく労働で払うベーシック労働というのも考えられます。ベーシック労働を仮定すると、ベーシックご飯やベーシックインカムの財源の対策にもなります。


ただ生きていくのに必要な食糧や医療を国から無償で支給され、決められた労働をする社会というのは、共産主義的な社会になってしまうような気がします。

男女と友情と犬

男女の間に友情は成立するのかというのには賛否あって、成立するという人もいれば成立しないという人もいるようです。
これが人と犬に友情は成立するのかというのならば、ほとんどの人が成立するというのではないでしょうか。
人間同士でも成立しないこともあるというのに、人間と動物とでも成立するとしたら友情というのは不思議なものみたいに感じられたりもしてきます。


しかし自分が犬の立場であったとしても友情は成立するのでしょうか。昔読んだSFでそんな話がありました。宇宙人に支配されている未来の地球で、主人公は宇宙人の暮らすドーム都市に奴隷として乗り込みます。
ドーム都市の中では異星人の星に合わせて重力は強く温度も高めに設定され、そして大気は呼吸できないので防護服を着る必要がある過酷な場所なので、たえず奴隷を補充する必要があり、主人公はそこに紛れ込むわけです。
意外なことに主人公を所有する異星人は彼らの中では穏健派というか、他の異星人のように人間を単なる道具として扱うのではなく、少しは気を使って人間用の部屋を過ごしやすく整えてくれたりもします。
その異星人が主人公に対して、自分達は友人になれないだろうかと言い出します。その前段階として、人間の書物などで友情について読んでいて、その中に“少年と犬は友人だった”といったことも書かれています。種族の違う人間と犬の間で友情が成立するのならば、異星人としての自分と人間の間にも友情は成立するのではないかという考えで、主人公に対して友人になれないかと言い出すわけです。これは人間と犬との友情でいえば、異星人が人間で、人間が犬の立場での友情です。


そのSFでは主人公はもともと異星人に対抗するために潜入していたわけで、本心からの友情が成立するわけもないのですが、もっと違う場合であれば友情は成立するのでしょうか。人間と犬の友情のようなものが、自分が犬の立場でも。


トリポッド 3 潜入 (ハヤカワSF)

トリポッド 3 潜入 (ハヤカワSF)

車椅子とエスカレーターと外のトイレ

車椅子でエスカレーターを使っていて起きた事故で、落下に巻き込まれた人が死亡する事故がありました。この事故によって車椅子でのエスカレーターの使用は禁止にしようという流れもあるみたいですが、自動車事故で自動車の使用を禁止にしない点からは禁止の理由が弱いような気がします。

またバリアフリーというか平等の観点から、一部の人がエスカレーターを使えないことはどうなんだろうとも。エレベーターという代替手段があればかまわないのでしょうか。
たとえば店内には女子トイレだけで、男子トイレは店の外にあったらどうでしょう。これも最近話題になりましたが、エスカレーターが使えなくてもエレベーターがあるじゃないかという理屈から言えば、店内にトイレがなくても外のトイレがあるじゃないかとなるわけです。