塵理論2

グレッグ・イーガンの「順列都市」に出てくる塵理論に関して。これは空間的には成り立つとしても、時間的には成り立たないのではないかという話です。


まず、空間的に成り立つということについてはそれほど問題無いと思います。ジェイムズ・ティプトリー・Jrの「接続された女」にも似たようなことが出てきます。手を洗う時に脳に水がかかっているとは感じない。脳が耳の間にあってもどこか遠くにあっても同じことだとか何とか。
コンピュータで何かを計算すると考えるなら、どこで計算しても同じ、一つのCPUを使っても沢山のCPUでも計算速度が変るだけで結果は同じというのは理解しやすいでしょう。


しかし時間的に成り立つかは疑問です。例えば1、2、3、4、5という状態を4、3、2、5、1と並び替えても同じになるのかということです。ここで考えないといけないのは並び替えた最初にくる「4」を得る為にはどうしなくてはいけないかということです。1の状態から計算によって2を求める。同様に2によって3、3によって4が求まるのだから、いきなり4が出てきてはおかしいはずです。計算方法によっては1から直接4を求めることもできますが、その場合2と3は不要です。ただし4の状態には1や2や3が過去として含まれています。それどころか2.4や3.41567も含まれているのでしょう。そういう意味では最後の数だけあればいいようにも思えますが、小説中のようにシミュレーションするとした場合は、順番に計算する必要があります。つまり4、3、2、5、1という状態を得るためには(1)、(2)、(3)、4、3、2、5、1のように計算しないといけないのではないでしょうか。括弧の中は表には出てこないとしても内部で必要とする数字です。
順列都市」の中ではこの辺の問題がうまくごまかされているような気がします。「ダミー」を使った実験も、実は塵理論が時間的に成り立つかは実証していないのでは無いでしょうか。まあ空間的塵理論だけでも順列都市は成り立つので、時間的には成り立たなくてもかまわないのかもしれません。


以前に書いたものへのリンク
塵理論
わずかに有害