科学技術

http://homepage3.nifty.com/mogami/diary/d0807.html#121にある「科学と技術の違い」と続きのエントリーに関して。

科学とは自然を「知ること」を目的とした営みである。
技術とは何かを「作ること」を目的とした営みである。

この2者は意外とはっきりと違うものである。確かに人間のやることであるから、どちらともつかない中間はある。作ることを極めていると、作る時や作動する時に利用している自然現象を詳しく知ることが必要になり、知ることに踏み込む研究者が居る。また反対に知ることを極めていくうちに、実験のための機械や技法の開発の必要が出てきて、それを作ることにのめり込む研究者もいる。この知るための方法の研究を「メソッド研究」と呼んだりする。しかしこういう中間はそれほど多いものではない。私の感じとしては5%くらいかな。

http://homepage3.nifty.com/mogami/diary/d0807.html#121


シンプルな定義として方向性を示しているという点では、科学と技術の違いに関してうまいこと説明しているように思います。ただ、ノーベル賞に関しては少し違うかなともあるかなと感じます。それはノーベル賞には人類に大きな利益をもたらす様な研究に対して与えられるという基準もあるからです。アインシュタイン博士がノーベル賞を受賞した対象は相対性理論ではなく光電効果の研究であったのは、そういった理由もあったとする説もあります。いまだと加速器なんかは当たり前として、GPSの時計の正確さにも相対性理論が使われていますが、当時は相対性理論という科学を利用した技術の成果が無かったということでしょうか。


技術が先行してあとから理論的な説明がついてくる場合もあって、セラミック系の高温超伝導物質などが思い浮かびます。江崎玲於奈博士のトンネルダイオードだと、どちらが先か微妙なところか。不純物を多くした半導体のPN接合でトンネル効果が起こるという現象の発見と、トンネルダイオードという製品としての成果はどちらが先にしてもそれほどの差はなかったのでしょう。
不純物を通常よりも多くすることで違った特性がでてくるという点では、同じく日本人でノーベル賞の対象になった白川英樹博士の導電性プラスチックの研究も似ている印象を受けました。これは、ポリアセチレンをフィルム状に合成できたのは触媒を1000倍にも多くしたことが理由だというのと、導電性を良くするためには半導体と同じような不純物の追加が行われているというのが一緒になった印象かもしれませんが。
それと別な点の類似を、田中耕一氏がノーベル賞を受賞した際にサラリーマンの受賞者として騒がれた時にも感じました。江崎玲於奈博士がトンネルダイオードの研究をしていたのは今のソニー、当時の東京通信工業株式会社に勤務するサラリーマンの時代だからです。ノーベル賞受賞当時は違うとしても、サラリーマン時代の研究がノーベル賞の対象になった点では共通しています。


科学としての理論はあるけれども、それを使った技術の産物が何も無い例もあるのだろうかと少し考てみました。「超ひも理論」が頭に浮かんだけれども、これは科学としても批判も起こっているようなので例としては適当ではないかも。「宇宙論」なんかは現実との関連がほとんど無い部分に関しては技術が存在しないかもしれません。