自分最適の実現方法

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090416の「全体最適 vs. オレ様最適 - Chikirinの日記」に関して。
タイトルにある「オレ様最適」や同じ意味の「自分最適」で考えるというのはどういうことなのだろうかと考えてみました。実際に自分最適が行われている例としては子供の行動があげられています。

子供は全体最適なんか考えないじゃん。人が4人いてお菓子が4個あっても自分が2個食べたければ2個食べる。それがオレ様最適。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090416


全体最適の例として最初にでてくるのがトリアージ

でもその前に全体最適系の思考で典型的なのをふたつほど書いておくと、一つ目が「トリアージ」ですね。大災害の時に医者がまずやるべきは患者の選別である、ということ。大量の負傷者がでた時には全員一斉に治療を始めることができない。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090416


この場合での自分最適な行動や仕組みはどういうものだろうというのを考えると、具体的なイメージが浮かびません。
災害時ではない場合ならば、会員制の医療機関に登録したり、かかりつけ医をつくっておくなどの方法で、何もしない場合よりも自分に有利な状況を作り出すことは可能でしょう。
しかし、大災害時に自分が優先的に助かる方法というのはどういうものだろうというのを考えると、うまい方法がみつかりません。これはトリアージ全体最適だとした場合の、自分最適になるのは何かということですが、その何かが実際に存在しないのはともかく思いつくこともできないのはどうしてでしょう。

実現性を無視すれば、通常のトリアージの基準の一番優先順位の高い位置に自分を入れるというのが思いつきます。でもそれをどうやって実現できるでしょうか。


もう一つの金融機関などへの公的資金の導入という全体最適に関しては、自分最適を実現する方法が思いつかなくもありません。自分が助かるような状況にもっていく、つまり助からなかった場合に社会への影響が大きくなるようにすれば助けられる可能性は高くなりそうです。でも、それは全体最適が行われている中での自分最適な行動であって、自分最適な社会の仕組みとは違うような気もします。


何というか、自分最適な状況を実現可能な形で考えるのはかなり難しいように思います。最初の子供とお菓子の例であっても、長期的に見れば仲良く1個づつ分けたほうが自分にとっても有利であるとも考えられます。全体最適を考えた行動が自分最適でもあるという考え方です。


ただし全体最適がすべてかと言うと、そうでもなさそうです。「臓器クジ」に代表される思考実験は、全体最適の考え方に沿っているけれども現在の社会では受け入れられていないからです。


(追記)
まとめるとこういうことかな。

  1. 全体最適に対する自分最適というのは対称ではない。全体最適の社会は考えられても自分最適の社会を考えるのは困難。
  2. 全体最適の社会でも個人の権利は保障される。自分の同意なく臓器を取り出されて他の人に移植するような形での全体最適は行われない。