「結論オリエンテッドな議論」に関して

http://deztec.jp/design/06/12/12_conclusion.htmlにある「結論オリエンテッドな議論」に関して。


まず「結論オリエンテッド」というのはそれほど悪いものではないのではないかということを書きます。例えば「科学」は結論オリエンテッドであると言ってもいいと思います。科学は還元主義の最たるもの、はっきりとした理由や原因を求めるもので、結論オリエンテッドという考え方とはまったく逆のように見えます。しかし、科学によって説明される理論は、全て実験や観測によって確かめられる必要があります。事実という結論が先にあって、それをうまく説明できるのが科学です。まあ、理論によって予想された新しい素粒子が発見された例もあるので、必ずしも結論が先にあるというわけでもないのですが、これも事実によって検証されなければ認められることはなかったはずです。また、くりこみ理論は測定された電子の質量などを理論に取り入れたものなので、科学における結論オリエンテッドのわかりやすい例ともいえるでしょう。


つぎに「結論オリエンテッド」の別の解釈を考えてみます。それは、相手の主張の背景に、表に出てくる理由ではなくて隠された理由があるのではないかというものです。例えば、誰かの違法な行動をとがめる場合に、表向きの理由は尊法精神だったとして、隠された理由は単にその誰かが嫌いだからといったものが考えられます。他には議論をしたいだけといった理由や、インターネット上であればアクセス数を稼ぎたいとか、もっと一般的に有名になりたいというのも隠された理由としてありそうです。
その隠された理由のそのまた理由のように理由をどんどんたどっていくときりが無いというのは、リンク先でも書かれている通りです。それに、もし“「なぜ」を突き詰めてスタート地点に辿りつく”ことがあったとして、そのたどり着いたスタート地点が「結論」になっての「結論オリエンテッド」になってしまうかもしれません。どうやってたどり着いたのかが無いまま「それは10年前に議論され尽くしてますよ」と言うだけだったりとか。


ところで、「結論オリエンテッド」という文自体は結論オリエンテッドなのだろうか、そうだとしたら隠された理由は何だろう。とか、それとも理由によって組み立てられた、つまり理由に変更があれば結論もかわる種類の文なのだろうかと考えました。しかし、それは外部からの観測では判断できないのかもしれません。
それはともかく“議論せずとも異論をぶつけてくる相手の考え方が理解できる(ような気分である)”というのは、戦わずして相手の強さがわかる剣の達人みたいだなと思いました。さらに、相手を倒すのではなく相手を生かす活人剣ならぬ活人議論というのも思いつきましたが、その奥義をうかがうことはできませんでした。