リンゴとナシを足す

リンゴが5個、ナシが3個ありました。リンゴはナシよりいくつ多いでしょうかという問題を考えて見ます。
5-3=2で答は2個になるわけですが、これを具体的に説明するのにリンゴ5個からナシ3個を引いてリンゴが2個とすると正しくないようです。リンゴからナシを引くことは出来ないからです。
これは、リンゴ5個から、ナシと同じ数のリンゴ3個を引いて、残りがリンゴ2個とすればいいみたいです。


足し算でも同じような問題があります。リンゴ2個とナシ3個を足したりすることは出来ません。
これを果物が5個のように答えることもできますが、ナシではなくてバナナが3本だったらどうでしょう。バナナが果物か野菜かという問題は別にしても、答は5個か5本かどっちでしょう。


これをつきつめていくと、リンゴ1個とリンゴ1個と足すのも、同じリンゴだろうかとか考えてしまいます。フジが一個と紅玉が1個で合わせていくつでしょうというようなことです。同じ種類のリンゴでも、全く同じものは無いわけです。


人間以外の知的生命がいたとして、人間とは違って細かい部分まできちんと認識し、2つのリンゴがあった場合にそれらを全く別の物として認識するとしたら、1+1という計算はできるでしょうか。
1+1=2というのは証明するものというよりは、数の定義の問題と考えた方がわかりやすいです。まず1という数があったとして、それに同じ1を加えたものが次の数2で、その次が3のように+1することで1づつ増える自然数というものを考えるわけです。1-1を考えると0という存在、それを進めて負の数を得ることができます。
しかし、これらはすべて1という数を定義できて、それと同じ1という数の存在があるということを理解できたとしてのことです。
全く同じ物は存在しないという考えに立てば最初の1は存在したとして、それと同じ1は存在しえないのです。1とよく似た1'というものを考えて1+1'によって2を得たとして、次の3を得るにはまた別の1''を考える必要があります。これでは1と2の差と、2と3の差は別のものになってしまいます。


自然数という概念も、たまたま人間の認識力の限界で、複数の別のものを同じにとらえてしまうことから発生したものなのかもしれません。自然数は、人間が自然を理解する為のデジタル化とも考えられます。
人間以外の知的生命に自然数の概念が無かったとしても、長さや重さから数という概念を理解することもあるのかもしれません。その場合の数はいきなり実数になるのでしょうか。実数を基本として自然数の存在しない数学の体系はどんなものになるでしょう。
ただ、原子量は自然数で表わせるし、長さやエネルギーが連続した値でなく不連続であるという物理現象から、整数や有理数の概念もでてくるかもしれません。