味噌も糞も

http://d.hatena.ne.jp/REV/20071209/p2の「コピペ爆誕 - REVの日記 @はてな」を読んで連想したのが、少し前に書かれていたhttp://d.hatena.ne.jp/REV/20071203/p2の「七人の野武士 - REVの日記 @はてな」のこと。

そこから「じゅうぶんに発達したテクノロジーは魔法と区別がつかない」というアーサー・C・クラークの言葉を思い出したり、それに関するテッド・チャンの書いたものも。

“テクノロジーは、いま不可能だと思われていることをいつか可能にする”という意味でなら、わたしもこの言葉に同意する。しかし、“科学と魔法のあいがに根本的な違いはなく、SFやファンタジーの中で科学と魔法は交換可能なのだ”という意味に解釈するなら、それについてはまったく同意できない。
(SFマガシン1月号45ページ「科学と魔法はどう違うか」より引用。)


例えば味噌と糞は、雑駁な印象だと同じかもしれないけれど区別した方がいいのではと思います*1。しかし、どうやって区別するのかは難しい場合があるのかも。臭いで区別がつけばいいですが、そうでなかったらどうすれいいのでしょう。まさか舐めてみるとか?

あと何だろう、「樽一杯のワインにスプーン一杯の汚水を入れると樽一杯の汚水になる。逆に樽一杯の汚水にスプーン一杯のワインを加えてもやはり樽一杯の汚水のまま。」というのを思い出しました。汚水になるのは簡単で、ワインでいるのは難しいのかも。

*1:水洗トイレの開発に本来の糞ではなく味噌を使うといったように、あえて同じとして扱うこともありますが。