美しい言葉と美しい氷の関係3

美しい言葉と美しい氷の関係2の続きです。

相関と因果

美しい言葉が美しい氷の結晶を作るという現象が観察されるとして、観測者の先入観による偏り以外の原因は考えられないでしょうか。
美しい言葉と美しい結晶に相関関係があったとしても、因果関係があるとは限りません。それと因果関係があったとしても、それは水が言葉を理解しているという原因であるとも限りません。
例えばボールを空中に投げた場合に、空気抵抗などの影響を無視して単純化した近似をすれば、放物線を描くと考えられます。放物線は、y=ax^2 などの2次方程式をグラフに描いても得られます。空中に投げたボールと2次方程式のグラフには相関があると考えられます。しかし、因果関係は無いといえます。また、ボールの位置を2次方程式を計算して求めることができるとしても、ボールが2次方程式を計算しているわけではありません。

仮説

美しい言葉と美しい氷の結晶に相関関係があるとして、その理由として考えられる仮説の一つは両者が同じ原因によって発生しているというものです。
美しい言葉は、それを考えて紙に書いたもしくは言葉にした人を原因としていると考えられます。同じように、美しい氷の結晶の原因も人によるというものです。
考えただけで氷の結晶が美しくなるというのは、にわかに信じられないかもしれませんが、それでは考えただけで美しい言葉を書いたり話したり出来ることには不思議はないのでしょうか。人が何かを考える、それを心といっても精神といってもいいですが、それによって身体が動いて話をしたり文字を書いたりしているわけです。そのしくみがわからないとしても、それが実際におこっていることは確かです。前に書いたプラシーボ効果についても、精神が身体に影響を与える実例と考えることができます。
同じように、人が考えたことが、身体ではなく別の物質に影響をあたえるということも考えられないわけではありません。
この仮説を使えば、美しい言葉と美しい氷の結晶に相関があることに説明がつきます。また、何を美しいとするかという問題に関しても説明がつきます。それを考えた人が美しいと思った言葉や結晶ということです。

おわりに

美しい言葉が美しい氷の結晶を作るというのが事実だとしたらそれはどういった理由によるものかを考えてみました。この考えが正しいのか、そうでないのかを検証する方法はいくつか考えられますが、その検証をするつもりはありません。それよりも、まず美しい言葉が美しい氷の結晶を作るというのが事実かどうかを検証するのが先でしょう。しかし、その予定も今のところありません。