意識と計算
コンピュータなどの機械は、計算することはできても人間のように考えることはできないとする意見を目にすることがあります。ここではそういった意見に異を唱えてみます。具体的には「機械は計算することができる」ということが自明かどうかについて考えてみます。
たとえば2+3を計算して5という答を得ることが計算です。式で書くと2+3=5となります。コンピュータなどで2+3という入力に対して5という答を得ることが出来るので、外面的には計算しているように見えます。
コンピュータの中身は複雑ですが、今考えているような単純な足し算ならばその仕組みを理解することが出来ます。ここでは説明しませんが「加算器」や「アダー」と呼ばれるものが足し算をする機構です。
単純な計算機ならば今ある電子計算機の前に、リレーなどを使ったものや、歯車を回すことで計算する機械もありました。そろばんなどを考えてもいいでしょう。そろばんの玉をはじいて計算するときに、計算しているのは誰もしくは何でしょう。
足し算を覚えかけの子どもが、指を折りながら計算している場合、計算しているのは子供でしょうか、それとも指でしょうか。
こんなことも考えてみました。計算する箱です。
- 箱の中に足し算の最初の数と同じ個数の石をいれます。
- 次にたす数の石を入れます。
- 箱の中にある石の数が足し算の答です。
こういう風に考えていくと「計算」とは何だろうということが、わからなくなってきます。少し前に読み直した本に出ていた文を引用してみます。
血縁度に依存する利他的行動の存在は、何も遺伝子や個体に、血縁度を計算する能力があるということではないのである。
ちなみに、太陽のまわりをめぐる惑星やすい星の軌道は楕円もしくは双曲線を描き、これらは数学的にはある二次式であらわされる。だからといって誰も、星に二次式を計算する能力があるとは思わないだろう。
(利己的遺伝子とは何か―DNAはエゴイスト! (ブルーバックス)119ページより引用)
星に計算能力が無いのなら、上にあげた計算する箱にも無いでしょう。それではコンピュータに計算能力があると思うのはなぜでしょうか。星を計算素子にするのは難しいでしょうが、石を計算素子にするコンピュータは比較的容易に実現可能です。
この文章をアウトプットするきっかけとなったインプットは、http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/02/post_943.phpの「MORI LOG ACADEMY 計算は算数か?」です。
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