私を食べて

http://b.hatena.ne.jp/REV/で紹介されていたhttp://anond.hatelabo.jp/20070208212233の「私を食べて下さい」に関して。

私を食べて下さい。それが彼女の最初で最後のわがままだった。

彼女が死んで3日後。準備は全て済んで後は待つだけとなった。1日目にはホームセンターにノコギリと寸胴鍋を買いに行った。2日目には彼女を風呂場で切断した。愛する彼女を切断するのは気が引けたけど、そのままでは食べることができないので切断した。そして3日目。バラバラに切断した彼女を寸胴鍋に入れて煮えるのを待っている。火で炙ろうかとも思ったのだけど、彼女は火葬が嫌だと言っていたのでやめた。ぐつぐつぐつぐつ。彼女が入った寸胴鍋をぼーっと見ている。ノコギリで切断したときも思ったことだけど、愛する彼女が肉片になっていくのはやはり悲しかった。それもノコギリで自分が彼女をバラバラに、肉片に、彼女を分解していく感触は堪らなかった。しかし、ぐつぐつと煮える鍋をぼーっと見ていた。涙も胃の内容物も、彼女が死んでから何も食べていなかったので胃液しかなかったが、とうに全て出し切ってしまっていたのだから。ぼーっと煮えていく鍋を、食材に変わっていく彼女を見ながら僕は彼女のことを考えていた。

http://anond.hatelabo.jp/20070208212233


すでにブックマークでコメントされていますが、新井素子の「ひとめあなたに… (角川文庫)」を連想しました。全体としては、もし明日死ぬとしたら何がしたいのかというようなテーマですが、その中に松任谷由美の「チャイニーズスープ」を歌いながら料理をする女性が出てくるエピソードがあります。ある意味「おしまいの日 (新潮文庫)」の原型ともいえるかもしれません。
他には泡坂妻夫の「鬼子母像 (光文社文庫)」にも似たような話があったはずです。共通するのは相手えの愛ゆえに食べるということでしょうか。これとはまったく違う理由によって食べるという話もありました。法月綸太郎の「法月綸太郎の冒険 (講談社文庫)」に収録されている「カニバリズム小論」です。