人格の一部

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070415/characterの「ARTIFACT@ハテナ系 - ネットに出ているのはその人の人格の一部だけ」に関して。

これは、その通りなんだけど、「私がネットに書いていることは人格の一部だけ。それだけで私のことを判断するな!」という人が、ネットの発言だけで相手を「生きる価値がない」「死ねばいいのに」とか人格を否定していることがよくある。

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070415/character

リンク先の主張は、一貫性のある言動が望ましいという立場からのものだと思われます。その意見にはまあ同感ですが、そうではない立場の意見もありえると思います。
一つは、相手の人格を否定するような発言もまた、全てではなく一部の人格から発しているという立場です。もう少し詳しく説明すると、相手の発言に対して私のことを判断するなという人格の一部をAとすると、誰かの人格を否定する部分はBで、AとBは別のものであるということです。分離した人格が複数あると多重人格みたいですが、そこまでいかなくても複数の意見や態度を持つことはありそうです。
もう一つは、一部の人格で誰かを批判することは悪いことであるが、自分もその悪いことをしてしまうという場合です。もしくは、自分がやっていたとしても悪いことはやはり悪いことだという考え方です。
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/04/post_1088.phpの「MORI LOG ACADEMY 立場を離れた意見」では、自分がその対象に含まれる場合でも非難は可能だということについて書かれています。

なにかについて非難をすると、それを言っている人が、自分はそうではないと主張しているように受け取られることが多い。たとえば、「Aをするなんて年寄りくさい」と書くと、「貴方はAをしないのですか?」「貴方だってAをするではないか」と反論してくる人が実に多い。たしかに1つの反論のし方だろうとは思う。でも、半分くらいの場合、僕はこう答える。「そうなんです。だから、僕は年寄りくさいですよね」と。ようするに、「自分を含めて非難の対象にしている」のであって、意見とは、必ずしも自分の正当性を示すためのものではない、ということだ。これがなかなかわかってもらえない。
 「日本人はこれだから駄目なんだ」と書くと、「お前だって日本人だろう」と言われるのと同じだ。そう、そのとおり。でも、日本人だったら、日本人の悪いところを指摘する資格はないのだろうか? 自分を棚に上げた意見は、筋が通らないのだろうか。
 たしかに、説得力がない場面はときどきある。しかし、これこれこういう理由でこうなのです、と意見を述べる場合に、自分がどんな立場にいるかは、実は無関係であるべきだ。

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/04/post_1088.php

あんまり関係ないけど英語のYouは複数形として使われた場合に自分も含むことがあるというのを連想しました。


あと、最初のリンク先で“私がネットに書いていることは人格の一部だけ。それだけで私のことを判断するな!」という人”というのはいったい誰なんだろうというのが気になりました。まあ具体的に名前を出したり、リンクしたりすると問題なのでしょう。