女性が女性に親身になるってむずかしい?

http://www.enpitu.ne.jp/usr10/103512/diary.htmlの「女性の敵は女性」と、前回のhttp://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=103512&pg=20070608の『「親身になる」ってむずかしい』と一緒に読むと単独で読むのとは違った印象があります。
具体的には「親身になる」ってむずかしい、という視点で「女性の敵は女性」を読んでみる。また、女性の敵は女性という視点で『「親身になる」ってむずかしい』を読むといった具合です。これは、意図して書かれたというよりも偶然もしくは無意識の要素が強いのではないかと思いますが、意図的に書かれたように感じるものもあります。
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/06/05/index.phpに書かれている「損の先送り」と「朝三暮四」などは同じ日に描かれていることもあって、かなりわかりやすい例ではないでしょうか。「損の先送り」での年金の話と、「朝三暮四」の故事成語の猿の話についてです。「応用問題」と「基本問題」のような感じでしょうか。

現在の得を取り、損を将来へ先送りする姿勢というのは、国をはじめ多くの組織において、大なり小なりどこにでもあるし、つい陥りやすい悪魔の誘惑といえる。消費者には、現在の損を選び、将来の得を信じさせるわけだから、この対比は特に興味深い。

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/06/post_1198.php

ペットの猿に餌(何かは忘れてしまった)を与えるのに、朝3つ、夕方に4つにしたら、猿たちが怒りだした。ペットのくせに困ったものだ。そこでためしに、朝4つにして、夕方3つにしたら(この発想がちょっとありえないが)、猿は満足して喜んだ、という話である。出来すぎている。つまり、トータルとしては同じなのに、目先の違いで誤魔化されることをいう。口先で人を騙すことなどにも使われる言葉である。

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/06/post_1197.php