数学と無限の操作

数学は無限の操作を認める場合と認めない場合があって、その違いは何によるのだろうかといったことを考えました。


無限の操作を認めるというのは、√2などの無理数を求める場合などです。作図を使えば正方形の対角線などで√2を表すことができますが、数値としての√2を求めるには無限に計算する必要があります。小数点以下どこまでも求めることはできるのですが、無限に計算することを認めないと√2は求まりません。
πのような超越数も、数列の極限として求めることが可能です。極限というのは、数列をどこまでも足してい言った場合にその値になるということですが、ここにも無限の操作が登場します。
このように、数学には無限の操作が登場する場合が多くあり、認められています。


無限の操作が認められていない場合というのは、角の三等分などです。定規とコンパスを使って、任意の角を三等分することは不可能であることが証明されていますが。これは無限の操作を認めない場合です。無限の操作が認められれば、角の三等分も可能になります。
しかしこれは古代ギリシャの数学者のこだわりで、もしこれだけなら現代にはそんなことは無いともいえるのですが、現在でも無限の操作を認めないことがあります。
それは代数方程式の解を求める場合です。
aX^2+bX+c=0のような二次方程式は、簡単に解くことができます。三次や四次の場合は、だいぶ難しくなりますが、それでも解を求めることは可能です。
しかし、五次以上の方程式の解を求めることは一般にできないとされています。


五次以上の方程式の解を求めることが出来ないというのも、有限の操作に限った場合です。無限の操作を認めるならば、円周率を六角形などの辺の長さを利用して求めていくように、五次方程式の解を求めることは可能でしょう。
多少の誤差を許容する場合ならば、数値解析的な手法によって五次以上の方程式を求めることもできます。コンピュータなどでは、こういったやり方が使われているようです。
もっと数学的には楕円関数を使う方法もあるようです。この場合は解が無限級数の和で表現されるのだとか。


こうしてみると五次以上の方程式の解を求めることが一般に出来ないとされていることの方が誤解で、難しいけれども出来るということのようです。出来ないと言う場合は、代数的な方法では解けないというのが正確でしょう。このあたりは角の三等分の場合と似ているかなと感じました。