合理的と感情と暗黙の前提

http://goryugo.com/20110705/economiaemotiva/の『人間は「合理的」な判断が出来ないものだ【書評】経済は感情で動く goryugo』で取り上げられている問題について。

  1. 2万円のオペラのチケットをなくした場合。
  2. チケットを未購入で2万円をなくした場合。

この2つの場合を同じだと判断して、違う対応をすることを合理的ではないとしています。
しかし、なくしたものが見つかった場合のことも考えるとちがう対応も合理的かもしれません。つまり無くしたオペラのチケットが後から見つかった場合と無くした2万円が見つかった場合の違いです。
つまり、

  1. 2万円のオペラのチケットをなくしたと思ってチケットを買いなおしてから見つかった場合。
  2. 2万円を無くしたと思ってチケットを買ってから見つかった場合。

の違いを考えて、チケットを買いなおしてから見つかった場合の損失が大きいことから買いなおさないという判断をしたという具合です。
そういった点も踏まえて、無くなったチケットが見つかった場合には払い戻しが受けられるという条件を追加しても回答に差が出るかを調べることで、チケットの購入前後という違いだけの差がわかるかもしれません。


3つあると真ん中を選ぶという話でも、単純に合理的でない行動だとも断定できません。
AとBという2つの種類が存在する状態と、Cという第3のものが存在する状態は同じではありません。高価なデジカメの場合だと、ズーム倍率や画素数などの性能でも優れているわけで、より優れた性能の製品が存在することは相対的に他の製品の価値を低くします。より高性能の新製品が販売された場合に、それまで売っていた製品の値段はたいていの場合下がります。それはつまり、新製品の登場が他の製品の価値を変えることの実例です。

また、iPadであるとかパソコンだとより高性能の製品の登場に合わせてその高い性能を必要とするソフトが登場することが多いので、そういった点も考えて選択するのが合理的でしょう。