勧善懲悪

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デスノート(DEATH NOTE 原作大場つぐみ 漫画小畑健)(漫画)読者にマジで、尋ねます。マジで、考えてください。

もし、以下の5つの条件が成り立つと仮定して…

1,デスノートや類する道具があり
2,主人公ライトのような「世の中を悪人のいない、善人が住みやすい世界にする」という目的を果たすため
3,同じくライトのように、並外れた頭脳を持っている人のみが
4,強盗・殺人・放火・累犯窃盗など、凶悪犯罪者と考えられる(起訴済み or 指名手配されている)人間
5,上記1の道具で、4のような人間の生命を奪う行為について

次の、1か2について、どちらかといえばどちらの考えですか。
1,極悪人は、改心可能性が低く、再犯の可能性が高く、仲間を犯罪に巻き込みやすいこと。他方、他の人間に対する犯罪抑止力があるのは確かなので、許される場合はある。

2、法治国家であるならば、上記による「私刑(私人による刑」は例外なく許されない。また、上記行為が許されると、その道具を持たない人も「凶悪犯罪者らしい」人に「私刑」を加え、社会の秩序が乱れるので、いかなる条件であっても許されない。


これに関して、http://d.hatena.ne.jp/ymd-y/20060224#1140786562ではこんなふうに解釈されている。

凶悪犯罪者を私人が殺傷する行為を許しますか?

はい
いいえ


こういった、私人による制裁というのは、小説やドラマに沢山出てくる。時代劇の「必殺シリーズ」や「デスノート」と同じジャンプで連載されていた「ブラックエンジェルズ」などはすぐに思いつく。それにいわゆるヒーロー物というのは、たいてい悪を倒すという話だ。
最近読んだ「おろかもの」の正義論という本では、そういう悪を滅ぼすことによって存在する正義を、「暗黒的正義」と呼んでいる。
しかし、そういう悪を倒す話が世にあふれているのは、ニーズがあるからなのだろう。

もちろん単純な勧善懲悪でない話もある。最近公開されたスピルバーグ監督の映画「ミュンヘン」などは、何が正しいのかについて考えさせる。実際に見てはいないので、あらすじや評判を読んだ感じとして。


話を「デスノート」に戻すと、デスノートを使って人を殺しても罪にはならないだろう。これは丑の刻参りをしたり、牛乳に塩を混ぜて飲ませても罪にならないことから。
デスノートを使って犯罪者を殺して行けば犯罪が減るかは疑わしい。それは今でも法律があり、つかまれば死刑になることもあるのに凶悪犯罪が発生することから。また、処罰が厳しければ犯罪は減るのかということからの想像。
顔と名前がわかれば殺されるのだから、顔を隠して犯罪を行えばいい。今でもたいていそうだろう。
それに、犯罪が悪化する可能性もある。例えばアメリカで、凶悪犯罪を3回行うと終身刑になる「ストライクアウト法」などと呼ばれる法律が施行された結果、3回目の犯罪で捕まれば終身刑になるのがわかっている犯罪者が凶悪化することもあったようだ。