猫殺し

http://d.hatena.ne.jp/orochon56/20060821#p1に書かれていた「可愛くなければ殺してもいいのか、という問題 」とそこからリンクされていた話題に関して。

この手の話を猛烈に批判する人は、猫殺しがダメでゴキブリ殺しがアリとされる矛盾に気がついているのだろうか。

ウチの近所にはノラ猫が大量発生していて、正直、「害がある」という点ではゴキブリと同じくらい迷惑である。結局、こういった話に過剰に反応し、罵倒を始める人の根本にあるのは「かわいいニャンコちゃんを殺すのはひどい!」という感情論なのだろう。裏を返せば、「可愛くなければ殺してもいい」が正当化される可能性があるということだ。


殺虫剤業界には「不快害虫」というカテゴリーがある。ココに説明がある通り、「刺咬<しこう>や病原体の媒介などの実害はないが、感覚的な不快感を与える昆虫」と定義されている。ゲジゲジはただ生きているだけなのに、「見た目がキモイ」という理由だけで人間に殺される。冷静に考えれば、これは非常に危険な事態であるし、秋葉原に集うみなさんは人ごととは思えないはずだ。

だいぶ前に聞いた話で、学校で飼っている大きな魚か何かのエサに金魚を使っていたところ、「かわいそうだ」という声が多かったためにドジョウに切り替えたというのを思い出しました。何故かドジョウだとかわいそうではないようです。

猫殺しがダメでゴキブリ殺しがアリとされるのを問題とする場合、矛盾を解決するためにどちらもアリと考えるのと、どちらもダメと考えるのではずいぶん違う気がします。リンク先の話は、ゴキブリも猫も殺しちまえと書いているようで、どちらも殺さないでと願っているのかもしれません。猫に対する共感を、ゴキブリやその他の可愛くないものにも向けて欲しいということを、少し露悪的に表現していると受け取ることもできます。
あらゆる生き物の命を大切にするというふうにすると、仏教の教えみたいかも。

しかしながら、http://psychodoc.eek.jp/diary/?date=20060806で紹介されていた、蛾の幼虫が大発生してまるで腐海に飲み込まれたようになっているのを見ると、焼き払ってしまいたく思うのも確かです。
関係無いけど「風の谷のナウシカ」で、蟲使い達が泣きながら自分達の蟲を殺すシーンも思い出しました。


共感能力があるか無いかが、人間とレプリカントの違いだというのは「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」に書いてあったんだったかなとか。最近読んだ「カラクリオデット」というマンガの猫のエピソードが浮かんできたり。「綿の国星」のチビ猫が、食べ物はそれまで生きていたのだと知って何も食べられなくなる話もありました。

猫の避妊手術というのも、それが人間に対して行われることを想像するとあまり良い解決策にも思えなくなってしまいます。少なくとも人間に対しての本人の同意を得ない避妊手術は、現在の日本では行われていないはずです。
猫用の経口避妊薬というのも考えられますが、これも人間に例えれば本人の同意なく行うことです。「宇宙船ビーグル号」というSFで、長期の航行をする宇宙船の乗組員がすべて男性で、食事にある種の化学薬品を混ぜることで性的問題を解決するとかいう設定がありました。あと都市伝説ですが、ベトナム戦争当時のアメリカ軍で兵士が問題を起こさないように配給のタバコに薬を混ぜて、その味をごまかすためにメンソールにしたなんてのもありました。
害虫の発生を抑える方法として、殺虫剤ではなく、繁殖しないような薬品を使う方法は実用化されています。