君の名は

はてなのユーザーIDは、ユーザー名という言い方もされているし、使われ方をみても名前と同一視されていることが多いようです。例えば、ダイアリーのコメントにログインした状態で書き込む場合は、名前欄にユーザーIDが入ります。これを変更することもできますが、その場合はあとで削除できなくなるようです。また、はてなユーザーのみコメントできる設定の場合は、名前を変更することはできないようです。


ユーザーIDは好きなものを選べます。本名もしくは、それにちなんだものであったり、そうでなくてもいわゆる普通の名前に近いものから、どう発音していいのか悩むものまでいろいろな種類があります。ただ、IDであるためには名前のように同姓同名があっては困ります。そのため、誰かがすでに使っている名前を使うことはできません。


名前で思い出すのは「鏡の国のアリス」に登場する歌です。その歌の名は「鱈の目」と呼ばれます。しかし、それが歌の名かというとそうでなく、歌の名は「老いたる老いたるそのお人」です。これで終わりではなく、歌は「方法と手段」と呼ばれ、しかも歌は「柵の扉に鎮座して」なのです。なんかわけがかからなくなりますが、ある物とその名前を別のものと考える。また、何か自身とその呼び方を別のものとして考えるということを実践しているわけです。アンコは甘いが、「アンコ」という言葉は甘くないので別のものとして考えることも出来るというわけです。「あるもの自体」と「その呼び方」のことを分けて考えるのに、シニフィエシニフィアンという言い方をすることもあります。名前がシニフィアンです。


名前というのは単なる記号にすぎないとするならば、なんでもいいような気もします。バラが何と呼ばれようとバラの美しさには変わりが無いという言葉もあります。でも「バラ」を「イヌフグリ」と呼ぶとイメージが変わりそうです。
名前ではないけれども、名前と同じように何かを識別するために使われるものがあります。最初にあげたはてなのユーザーIDなどの会員番号の類。また、銀行などで順番待ちをするときに使う番号札も一時的な名前の代用です。「○番でお待ちのお客様」と呼べば、その対象の人を呼ぶことができます。


名前というのが単なる記号でなく、何らかの思い入れのあるものとして使われることが多いと思います。初期のパソコン通信では、会員のIDは無味乾燥なアルファベットと数字の組み合わせが多かったようですが、それを名前代わりに使ったりはせずに、本名や自分で考えたハンドルネームというのを使っていたようです。
記号が名前変わりに使われる数少ない例としては、アマチュア無線コールサインがあります。交信以外の場合でも、コールサインの前半を略して名前代わりに使うのはそう珍しくありません。


名前はIDのように、必ずしもその対象と一対一で対応しているわけではありません。同姓同名のように同じ名前が別のものを示す場合もあるし、同じものに複数の名前がある場合もあります。
星の王子さま」には原題に近い別のタイトルをつけたものもあります。そういう意味では「鏡の国のアリス」にも別のタイトルがあってもよさそうなものです。


名前の無いものもあります。また、名前があってもわからない場合もあります。名前がわかれば検索して調べるのも簡単でが、名前がわからない場合はどうしたらいいのでしょう。
星の王子さま」の登場人部には名前がありません。名前は大切なものではないのでしょうか。名前をつけることで、何かがわかったような気持ちになるのは大人の考え方なのでしょうか。


北村薫の「空飛ぶ馬」などのシリーズの主人公の名前も出てきません。また、同じシリーズで相手の名前を間違えるエピソードもありました。誰かがそう呼んでいても、それが名前とは限りません。友人のいたずらによるものはしょうがないとしても、回想で出てきた主人公自身の勘違いから非常に失礼な呼び方をした失敗談は、実際にこんなことがあったらかなり気まずいと思いました。ちなみに主人公は女性ですが、これが男性だったら気まずいどころではすまないかもしれません。


時代によっては名前を尋ねることが求愛になることもありました。万葉集などにのっている歌にそういうのがあります。そして、名前を教えるということが求愛に答えるということになります。


(追記)
シニフィエシニフィアンを間違えていたので修整しました。