目的の為に手段を選ぶ

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2006/10/post_720.phpの「センスとテクニック」を読んで、前に読んだhttp://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2006/07/post_539.phpの「創作の順番」を思い出しました。

ものを作るときには、2種類のプロセスがある。作りたいものがあって、そのために、材料や手段を見つける場合と、材料や手段がさきにあって、作りたいものを見つける場合である。
 どちらかといえば、後者の方が数的には多いだろう。たとえば、彫刻家も陶芸家も使う材料をさきに持っていることが多い。絵描きも描くものを探しているだろう。小説家もほとんどは後者である。取材に出かけたりするのも、後者ではないだろうか。


作りたい何かを決めるのが「センス」で、材料や手段が「テクニック」に属するのでしょう。上の2つのリンク先では作りたい何かが大事だというようなことが書かれているようです。
それとは少し違った印象を受ける記事もあります。http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2006/10/post_719.phpの「楽しき初心者」や、http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2006/10/post_718.phpの「トランジスタ以外」などです。これらでは「過程」の楽しさに重点がおかれています。「センス」だけになってしまったらつまらないというような感じです。

まあ何というか「センス」と「テクニック」のどちらも大事だなと思いました。また、技術の進歩などで今まで必要だったテクニックが無くても大丈夫になったとして、また別の新しいテクニックが必要になることもありそうです。