反対進化

http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20061228#1167234892の「もしドーキンス2ちゃんねらーだったら」に関して。

さて、それとは別に気になっていることがあるのです。「遺伝子」というシステム自体は「進化」しないのでしょうか?

たしかミームというのがドーキンスの本に書いてあったようです。これは物質的遺伝子から文化的遺伝子への進化と言えるのかも。ドーキンスの本事態は読んでいないので二次情報ですが。DNAにしても、無性生殖から有性生殖などの伝え方の進化はしていそうです。(追記)あとDNAを持たない生物もいるから「進化」かどうかはわからないとしても「変化」はしているかも。具体例はブリオンとかです。

http://anond.hatelabo.jp/20061226222936の「科学が『ニセ科学』を糾弾できない本当の理由」にも一理あって、動物の種の壁を越えるような大きな進化は説明できないというのは、その通りだと思います。これが、農薬の使用によってそれに耐えられる昆虫が出てくるとか、抗生物質の使用による耐性菌の発生などの小さな進化であれば実例は沢山あるし、実験室レベルでそれを再現することも出来るでしょう。家畜の品種改良なども人為的な進化の試みです。
しかし、馬を改良してキリンのように首を長くできるかといったら疑問です。もっといえば、魚を進化させて地上で生活させるように出来るかということです。
もちろん再現できないからといって、進化論が間違っているということにはなりませんが、不十分にしかわかっていないというのは確かです。逆に再現できてもそれが証明にはならないと反論することも出来ます。奇術師が霊媒師と同じことができたとしても、それが霊媒師がいんちきだという証明にはならないというような感じです。


(追記)
もしかして、進化が再現できた場合に、それが創造主が存在する証明と考える人も出るかもしれません。例えばこんな思考実験を考えてみます。進化論が発達した時代に、ある惑星で行われた生命の発生と進化に関する実験。それは、地球上と同じように生命を発生させて、それを進化論でわかった方法によって進化させるというものです。そして、実験は成功して、発生した生命は順調に進化して知性さえ持つようになりました。彼らの一部は、自分達をつくりだし進化させた創造主が存在すると信じていました。その一方で、創造主などは存在しないと考えるグループも存在しました。さて、彼らのどちらが正しいのでしょうか。