いじわるな友人

http://d.hatena.ne.jp/hasenka/20070112/p3の「hasenkaのメモ - 水伝は非科学的とは言えない」に関して。

 記録を取ってみればそんな間違いすぐわかるだろうと言うかもしれない。しかし記録をとる取らないは本人の自由であるはずだ。本人が1が沢山出たと思ったらそう主張する事は何も問題はない。そんなのは科学的ではない? 仕方がないのでここで観測者問題を導入する事にする。記録を取らなかった場合と記録を取った場合では実験結果は同じにならないかもしれない。これでどうだ。同じにならないとすれば頻度の観測は観測者の印象にしか頼れない事になる。これじゃ観測者はいるのだから観測者問題じゃなくて記録者問題だな。記録者が存在すると対象に作用すると。

 しかし記録を付けなかった時と記録を付けた時の実験が全く同じ結果を返すとは証明できないはずである。なにせ比較する記録がないのだから。類推する事はできるか? ここでは記録を付けない時を問題にしているのだから記録を付けた時のデータは何件あっても役に立たないのである。というわけで水伝は一概に非科学的であるとは言えないという主張でした。

だれかがこっそりと記録をとれば真実が判明するかもしれません。本人が1が沢山でたと主張した場合に、意地悪な友人などが気づかれないように観察していて、その記録と照らし合わせることで主張が単なる印象だけによるものかがわかるでしょう。何回か実験を行い、観察するかしないかを実験者本人に知らせないようにして、結果が変化するかを調べれば、記録をつける場合とつけない場合で何らかの違いがあるかがわかるのではないでしょうか。