視点の違い

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070123/bmrss20070123の「愛・蔵太の少し調べて書く日記 - ブックマーク・RSSから(2007-01-23)」で紹介されていたhttp://nextxp.net/archives/2006/11/post_231.htmlの『私立東蔭高校の女子生徒が卒業目前にして退学、理由は「暴言」-だが... -[Di]』に関して。

これをよんで女子生徒に同情する方は多いと思う。事実、西日本新聞の書き方は女子高生に対してかなり同情的である。では、実際にはどうなのだろうか?というのが、今の時代には簡単に分かってしまうのだ。
(中略)
正直この女子高生が反省しているとは思えないような文章が、サイトには並んでいるのである。これをみると、学校の判断は正しかったと言えるのではないか。


なんか似たような話を読んだことがあると思って探してみました。同じように退学させられた女子生徒が裁判を起こしたが負けてしまったという話です。しかし、探すまでも無く、少し下でも紹介されていました。http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20061210の『西原理恵子さんが「お父さんにいちばん感謝していること」』です。

サイバラ:そう。その前に1回停学になってるんですけど、いままでの判例だと、その次は無期停学のはずなのに、一気に飛んで退学になっちゃったんですね。その夜は、友達とスナックで飲んでて、私は先に帰ったんだけど、残った友達が教師につかまって、警察に連れていかれたんです。それが夜の9時か10時頃だったのに、夜中の2時ぐらいまで教師が4、5人で女の子たちを小突いて、トイレにも行かせないで、私の名前を言わせちゃったんですよ。教師のなかには酔ってたのもいたんで、それは親も怒りますよね。で、もう退学だ、って。裁判の調書でも嘘と悪口ばっかり。裁判は絶対に勝つと思ったけど。


なんというか立場の違いによって、「事実」というのも変わってくるものなのかもしれないなと思いました。そういう立場の違いという観点で見るとやはり「愛・蔵太の少し調べて書く日記 - ブックマーク・RSSから(2007-01-23)」で紹介されていたhttp://genki01.cc.hokudai.ac.jp/reo/diary/?date=20051224の「負け組日記 - ダメイブ」にもある種の似た感じを受けました。

小中学生の少年少女が成長していく過程を描く作品は数多くあるが、僕はそれらを読む時に必ずと言って良いほど感じる違和感、というよりも苛立ち、釈然としない想いがあった。それらの作品で、成長に戸惑い・苦悩するのは大抵女の子である。胸が大きくなって男子にからかわれたり、ブラをつける事を恥ずかしく思ったり、生理で憂鬱になったり、生理用品を男子に取られてからかわれたりする。この時、男子はどのように描かれるかというと、定型的に「女の子をからかう」。性に対する好奇心が肥大化した男子が、抗いがたい知的好奇心と欲情を発散するために女の子のスカートをめくったりするのも代表的な行動例と言える。あるいは性欲などないような「女の子が理想とする」聖人君子然とした美少年が現れて、このような稚拙で暴力的な男子をたしなめたりもする。僕はここで違和感を憶えるのだ。クラスにいるのは聖人君子と、粗暴な男子だけなのかと。大多数はそれを見て何も言えない男子じゃないのかと。


だいぶ古い作品ですが、「なぎさボーイ」と「多恵子ガール」という本では、ほぼ同じ内容に関してそれぞれ「男の子」からの視点と「女の子」の視点から書かれています。これは両方の視点を体験できるという珍しい例ですが、「男の子」が成長に戸惑たりする話という小説やマンガというのは結構あるような気がします。これまた少し古いですが「赤ちゃんと僕」なんかはそうだった記憶があります。
(追記)リンク先に橋本治が出ていたので思い出したけど、「桃尻娘」のシリーズにも男の子視点の話があったはず。女っぽい男の子とか、彼に世話をやかれる先輩なんてのも出てきた記憶があります。


なぎさボーイ (コバルト文庫)

なぎさボーイ (コバルト文庫)


多恵子ガール (コバルト文庫)

多恵子ガール (コバルト文庫)


以前に書いた多少は関係ありそうなものへのリンク
歴史問題