価値

はてなブックマークの最近の人気記事で紹介されていたhttp://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070810/1186677224の「福耳コラム - ものにはなぜ価値があるのか?の巻「女子大で講義する余談の多い経営学 #8」」に関して。

ということはやっぱりこの世の中すべてが単独で価値があるものというのはどうもない。つまりものの価値はものに無いんです。これは人工物、物理的な財だけじゃなくてサービスだってそうです。例えばそこを走っている中央線だって、中央線で何か物体を輸送するというサービスは運ばれるものがあるから価値があるんだね。これ全く何も運ぶものがなくってただ列車だけ動いていたらそれはただ箱の往復運動さ。ということはやっぱり鉄道と路線と列車とそれを動かすサービスと駅員さんと、そのいろんなものに価値があるのは、それで運ばれる人や者があるからですね。ということはやっぱりものやサービスなどの財の価値はその財単独にはなくて、ものとものあるいはものと人、ものとサービスなどの関係性にこそ価値はあるんです。

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070810/1186677224


全般的な内容には異議は無いのですが、“この世の中すべてが単独で価値があるものというのはどうもない”とまでいってしまうのはどうかと思いました。生存に必要なものなんかは単独での価値を認めることができるからです。例えば食料です。
食料よりは普遍性がないけれども衣服なんかもある程度は単独で価値を持つと思われます。最低限の身体を覆う何かは必要だし、寒い場合は防寒の機能を持った物が必要です。まあ防寒具の場合は、暑い地域では必要ないので環境に左右される物になるかもしれません。靴などの履物も裸足で暮らす場合は必要ありませんが、ある程度の普遍性はあるといってもいいのではないでしょうか。


システムがそろって価値があるというのは歴史的に考えても納得です。発明王エジソンは電球を発明したとして知られていますが、エジソン以前に電球をつくった人は何人もいます。しかし、エジソンは電球だけでなく発電所や送電設備も作って電球の普及につとめた点がそれまでの電球の発明者とは違っていたわけです。