何でもじゃない

はてなブックマークの最近の人気記事で紹介されてたhttp://anond.hatelabo.jp/20070823233243の「何でも楽しいという友人 」に関して。
何でもといいながら、実はそうではないのが気になりました。受験勉強やその結果としての東大や、掃除当番などについて書かれていますが、これが万引きやかつあげなんかだったらどうでしょう。「どうとでも楽しみ方はあるよ」といって、シリーズ物のマンガを一度に万引きしたりするのでしょうか。
犯罪まではいかなくても、マルチ商法や宗教などにそのポジティブさや能力が発揮されたらと考えると少し恐ろしくもあります。法務大臣になったら死刑執行にも楽しみを見出すのでしょうか、そして執行人になったとしても。


おそらくはなんでも楽しいという場合の「何でも」は文字通りの何でもではなく、ただ他の人よりも少し広い範囲であるので、他人からは何でものように見えるだけかもしれません。東大に行くというのはある意味狭い価値観のようにも思えますが、それは他人からの目線で本人は必ずしもそれだけを狙ったわけではないのかも。だから例えばニートになったとしても、それが楽しいと言うのかもしれません。世間的な成功や幸福とされるのではない状態で、それが楽しいと言えるのならば「何でも」という言葉の説得力がでるかもと思う反面、負け惜しみだとされてしまうかもしれません。それでも別にかまわないのかな、本人が楽しいのならば。


http://anond.hatelabo.jp/20070824172558の「僕の主張はいつも通じない」は、上の話とは違って他人に理解されない話。しかし、他人にはそうそうできないという点では似ているように感じました。




天才柳沢教授の生活(1) (講談社漫画文庫)

天才柳沢教授の生活(1) (講談社漫画文庫)