世界は完全ではない、かといって出鱈目でもない

http://d.hatena.ne.jp/REV/20070826/p1の「REVの日記 @はてな 私たちは、なぜ科学を選ぶのか。」で取り上げられていたhttp://www.dan21.com/backnumber/no69/editorsafter.html*1にある「談 editor's note[after]私たちは、なぜ科学を選ぶのか。」に関して。今ちょうどゲーデルの「不完全定理」を読んでいるところなので、以下の部分に反応。

 ゲーデルの「不完全性定理」の発見は、科学を科学としてあらしめる根拠を科学そのものから奪い取ってしまったのである。科学は「不完全性定理」の発見によって、その存在理由を失ったのだ。「科学を厳密に表現しようとすると、数学を使わなければならない」が、「じつは数学というシステムの中にも〈不完全性〉があることがわかっ」たのである。しかも、「ゲーデルが導いた〈不完全性定理〉は、(科学を最も根本のところで基礎付ける)数学の世界においても、〈真理〉と〈証明〉が完全には一致しないという結論を示してしまった。しかも、それだけでは終わらない。ゲーデルは、一般の数学システムSに対して、真であるにもかかわらずそのシステム内部では証明できない命題Gを、Sの内部に構成する方法を示し」てしまった。つまり、「不完全性定理」は、論理的に完全なシステムはこの世界に存在しないことを判明してしまったのである。理性主義の象徴としての科学は、この時点で崩壊した。ファイヤアーベントがいみじくも言ったように、私たちの進むべき道はアナーキズムしかないのだろうか。

http://www.dan21.com/backnumber/no69/editorsafter.html


今読んでいる岩波文庫ゲーデル不完全性定理」は300ページを超える本ですが、ゲーデルの論文自体は62ページで終わっています。そこから後ろは解説になっています。これは同じ岩波文庫の「相対性理論」と似ています。ただ「相対性理論」の解説は、論文を比較的平易に直したもので長さはだいたい同じくらいです。「不完全性定理」の解説は、数学の歴史から書かれています。まだ読み終わっていないし、読んだとしても不完全性定理を完全に理解できるかはわからないので、それらしい文をいくつか引用してみます。

 しかし,その解釈をめぐっては,実にさまざまな意見がある.例えば,不完全性定理は人類の知の限界を示すものだ,という見解が一般的だが,ゲーデル自身はそういう解釈を退けている.

岩波文庫不完全性定理」77ページより引用

 多くの入門書は,ヒルベルトのテーゼを暗黙裡に仮定し,数学的不完全性定理を人間の知の限界を示す定理と結論付ける.しかしゲーデルは,人間の知には標準的解説で喧伝されるような意味での限界はないという立場をとり,数学的不完全性定理ヒルベルトのテーゼが単純な意味では成り立たないことを示す根拠として理解していた.

岩波文庫不完全性定理」77ページより引用


ちなみにヒルベルトのテーゼというのは、現実の数学の理論が形式系によって忠実に再現されるというもののようです。83ページの説明では、コンピュータのような機械による計算だけである証明の正しさが判断できることのように書かれています。


ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)

ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)

*1:実際に取り上げられていたアドレスはhttp://www.dan21.com/backnumber/no69/editorsafter_main.htmlですが、これはフレーム表示の一部なので、主に自分の利便性の為にフレーム表示全体のアドレスに変更しました。