内面と外面

http://d.hatena.ne.jp/REV/20080307/p4の「なぜという形式質問文について - REVの日記 @はてな」と、紹介されているhttp://d.hatena.ne.jp/repon/20071228#1198827718の『なぜ「なにをしていたんだ?」という問いかけは暴力的なのか? 』に関して。

僕はこの問いかけが苦手だ。

「なにをしていたんだ?」「どこに行っていたんだ」などなど

(「なんでそんな髪にしている?」「おまえの生活はどうなっているんだ?」「なんでそんなことをするんだ?」etc.)



今でさえそうなのだから、子どもの時に言われれば辟易する。*1

この問いかけをされると、たとえ正しい答えを言ったとしても、気分がよくない。「友達と遊んでいたんだよ」と答えても落ち着かない。本当にそうであっても、内面をぐるりと覗かれている気がする。人に言えないような行為をしていたときであっても、そうでなくても、感じる視線は同じだ。「その隠しているものを出せ、見せてみろ」という視線。

こういうことを親から言われても適当に答えられる友達が不思議だった。今も不思議だ。実際は平気ではなかったのかな?

http://d.hatena.ne.jp/repon/20071228#1198827718


子供の方でも「どこの行っていたんだ」に対して「外」とか答えたりすることもあるかなあと思いました。「なにをしていたんだ?」には、「息」や「別に」とか。
でもこれが相手の内面を出してくる「すごく心配した。」とかいう言葉だと、反発しないとしても困惑はするかも。否定的な態度に対してはこちらも否定的に対応することにそれほど抵抗は無くても、友好的な相手に否定的な態度はとりづらいからです。