スポンサー・ペアレント・サポーター

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080316/1205655055の「あなたは、なぜ、自分のお金を貧しい人々に分け与えないのですか? - 分裂勘違い君劇場」で紹介されていたチャイルドスポンサーシップに関して。

チャイルドスポンサーシップなら、月々たった4500円で、貧困に苦しむ子供を1人救えます!

一日あたりならたった150円、ペットボトル1本分にすぎません。

http://www.worldvision.jp/children/

その子と手紙のやりとりもできます。プレゼントを贈ることも出来ます。その子に会いに行くことも出来ます!

支援金は、税金の寄付金控除の対象となりますから、確定申告すれば、寄付金の何割かは税務署から還付されます!

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080316/1205655055


これと似たようなものでフォスターペアレントというのもあります。*1http://www.plan-japan.org/home/
新聞の広告で見かけることがよくあるのはこれだと思います。だから有名だと思うけれど、実際にフォスターペアレントになった人の書いた物としては「趣味のWebデザイン」にあるものくらいしか読んだことがありません。

http://deztec.jp/design/05/03/26_world.html フォスターペアレントの思い出
http://deztec.jp/design/06/06/06_life.html つつましく生きる

かつて私の両親はフォスターペアレントをやっていて、貧困国の少年たちの就学を支援していました。一応、私の小遣いの半分がそれに使われているということになっていて、だから被支援者の少年が送ってくる手紙には、私の名前が書かれていました。「**様、いつも温かいご支援ありがとうございます……」

http://deztec.jp/design/06/06/06_life.html


ひねくれた見方をすれば、他国の少年を救うという目的よりもそれによって自分の子供に与える教育的効果の方に重点があったのではないだろうかなんてことも思ってしまいます。でも親であれば自分の子供を第一に考えたとしても悪いことは何も無いし、自分に子供がいることで他の子供への関心も高まるということもあるのかなとも感じます。
上はうまく言った例ですが、下に引用するのはあまりうまくいかなかった例かも。

僕の父親は、典型的な自己犠牲教の信者でした。



子供の頃、父親と街に出かけると、彼はよく自分の昼飯をぬいて、昼飯代を募金箱に寄付していました。

いつでもおなかいっぱい食べられるぼくたちが、ろくにご飯を食べられない貧しい人たちのために、一食分を差し出すのはなんでもないことだと彼は言っていました。*2



子供だった私は、そんな父親の行為を、とても美しい行為だと思いました。

だから、ときどき彼のまねごとをして、駄菓子を買うのを我慢して、少ないおこずかいを募金箱に入れたりしました。

とてもいいことをしているような気分でした。

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080316/1205655055


“自己犠牲教”などという書き方をしていることからもわかるように、自分の親の行動に対してあまり良く書かれてはいません。しかしやり方に対しての批判があるとしても、その求めるものは共通なのかなとも。そういう意味では、この場合でも教育的効果があったと言えそうです。これは教育的効果を狙った行動というよりは、自分の生き方を貫いた結果としてそうなったというだけなのかも。


最近なにかと話題になっているユニセフでもチャイルドスポンサーシップやフォスターペアレントと同じようなことをやっています。
http://www.unicef.or.jp/cooperate/coop_monthly.html 日本ユニセフ協会・マンスリーサポートプログラム


以前に書いたもの
あなたは二者択一を迫られます

*1:正しくはフォスタープランだろうけど、支援者のことをフォスターペアレントと呼ぶ。