双子の話

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080825/1219651707の「呪われた双子をわかつ無慈悲なる女神 - 地下生活者の手遊び」に関して。


このエントリーを読んでの大きな疑問というのは、人が死なないことなのにホロコーストになるんだろうか、というものです。


タイトル「呪われた双子をわかつ無慈悲なる女神」の呪われた双子というのはホロコーストトリアージのことで、これは前のエントリー「ホロコーストトリアージは呪われた双子」からも明らかでしょう。そしてホロコーストトリアージの違いについて述べられています。
トリアージは、運命の女神の選別であるとしているようですが、なかなか興味深い見方だと思いました。これに対する批判もコメント欄などでなされています。トリアージの基準は人間によって決められたことだからです。それに加えて、その基準が一つにまとまってもいないという点も、運命の女神の選別説の弱いところでしょう。違う基準を使えば違うトリアージの結果になる場合も出てくるからです。
それでもこの説には大きなメリットもあります。それは災害医療の現場でトリアージを行う人の精神的負担を減らすのに役に立つだろうからです。救命不可能を表す黒いタグをつける決断をするのは難しく心理的負担も大きいようですが、運命による選別であるという考え方には決断を楽にする効果がありそうです。

(参考:wikipedia:トリアージ


続いてホロコーストは、権力者の決定による選別だとしています。そして権力者の決定であり、運命では無いのにもかかわらず運命だと偽装するのがホロコーストだともしているようです。そして経営における切り捨ても、自然でもなく運命でもなく、権力者である経営者が決定するのだからホロコーストというのだ、と。


ここで出てくる疑問が、最初にもあげた人が死なないことなににホロコーストというのだろうか、です。


具体的な例がコメント欄にでてきます。最初の船が沈没するときに「女、子どもを先にボートに」というのはホロコーストよりなんだろうかという疑問に対しては、男が自主的にそうするのならばホロコーストではなくトリアージだとしています。これに対する疑問はブックマークのコメントにも書きましたが、自主的でない場合はどうなんだろうというものです。特に、船の上での権力者である船長が「女、子どもを先にボートに」と言った場合はどうでしょう。これは権力者の決定であり、運命では無いのではないでしょうか。
ただコメント欄では「オンナコドモは優先して助けよう」というのは別に自然では無いと書かれていますが、これを自然だと感じる人もいるでしょう。その場合は、「女、子どもを先にボートに」でなく、「一等船客と先にボートに」とか「日本人を先にボートに」など条件を変えて考えてみると違う結果が出るかもしれません。


会社の社長がリストラをする場合もでてきます。これはホロコーストなんでしょうか。救命艇の場合は、乗れなかった人が死ぬかもしれないので条件を変えていけばホロコーストに近いと言える場合があるかもしれませんが、誰も死なないのにホロコーストというのにはかなり疑問があります。
エントリーの最初でも“ホロコーストという生死の選別とは”と書かれているように、最初の方ではホロコーストと生死の選別が一体になっていました。それが途中から、生死の選別が関係なくなってしまったのが不思議なところです。


まとめると、「生死の選別とは無関係のことをホロコーストだというのは適当ではないのではないか。」ということです。