へりくつ三級

空手の有段者がケンカをした場合に、法律上は凶器を持っていたとみなされるというのを聞いたことがあります。これは理不尽といえば理不尽で、バールのようなものを手に持っていたとかならともかく、素手なのに凶器を持っているとされるのだから。もし、警官隊に包囲されて「武器を捨てろ!」と言われたときにはどうしたらいいんでしょう。素手なのに凶器を持っているとみなされて撃たれたらどうしてくれるのか。いや、そんなことは無いでしょうが。
そういった妄想をしていると、有段者というのが何というか身体を改造されて武器を体内に仕込まれてしまった人のような感じもします。*1


肉体的なことに関してある意味不公平に思えるこういった制度があるとしたら、精神的なことに関してもあっても不思議ではないかということを思いました。考えのきっかけとなったのはhttp://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090218/1234934521に書かれている「あちこちでセクハラの解釈がぐしゃぐしゃになっていて - Ohnoblog 2」の、特にこの部分です。

私は授業の性格上、性的な話をたくさんしているので、時々「これはセクハラと言われないかな」と不安に思うことがある。ベッドシーンの登場する映画を見せた時、「あのシーンは不快だった。できれば見たくなかった」と感想文に書かれたこともある。表明するのは一人でも、内心思っている場合はもっと多いかもしれない。

http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090218/1234934521


不安に思うのは、セクハラなどに関する高度な知識があるからであって、知識が無かったら全く気にもならないようなことかもしれません。しかし、セクハラかもしれないという判断があったとしたら、それは“一定の「自覚」をもった確信犯”として罪が重くなる可能性もありそうです。一方で、全く自覚の無い場合には悪意はなかったと認定されるのでしょうが、それは何か不公平な感じを受けます。格闘技の有段者の素手が凶器とみなされるのに、素人の場合は素手はあくまで素手として扱われるかのように。


格闘技などの段位と同じようなものが、精神的な物にも考えられないでしょうか。勿論のこと、現状でも習字や算盤などといった格闘技以外の段位も存在するのですが、格闘技という肉体的な闘争に対応する精神的な闘争における段位というものを想定しています。具体的な例を出すと論議を呼びそうな気もしますが、あえて書くとすれば「ジェンダー初段」とか「人種差別二段」のように分野別にするか、総括的に「論理学4段」みたいにする方法が考えられます。


しかし考えてみれば、ケンカをする場合に相手が格闘技の有段者かどうかを確かめたりはしないのと同様に、精神的なケンカの場合にも相手が精神的な有段者かを確かめたりはしないかもしれません。もし、精神的な物の段位認定というものが実現したとしても。
ドラゴンボール」に出てくるスカウターのようなもので、精神的な戦闘力がわかる装置があったら便利かもしれませんが、いきなり戦闘力が増えて驚愕するなんてこともあるかもしれません。

*1:サイボーグ009」の特に004や、小説だと「超戦士コブラ」などが思い浮かびます。