名前を出さない話の話

はてなハイクhttp://h.hatena.ne.jp/pollyanna/9234262589212618553にの『「ニセ科学批判は、“こんなもんにだまされやがってバカじゃねーの”的優越感の表れである」、みたいな例の話について。』*1に関して。

この話はもう何十週目かはわからないのだけど、相変わらずこの手の話を持ち出す人たちは、具体的な「差別的」ニセ科学批判者の名前を出さないですな。
 具体的な名前を出すと、ガチで喧嘩しなきゃいけないのがしんどいのかな? と思ったので、私が代わりに名前を予想してみよう(きゃー!!)。
 ここでは、ご自分のブログなど、言論の拠点をもってニセ科学批判をされていて、なおかつちょっとこわそうに見える方々(ごめんなさいごめんなさい)に限る。

http://h.hatena.ne.jp/pollyanna/9234262589212618553


これを読むと、ではその“この手の話を持ち出す人たち”というのはどこの誰なんだろうと思わずにはいられなくなってしまいます。具体的な誰かに対してではなく一般的な話として書くことはそう珍しくはないし、特定の誰かに対しても直接の名指しではなく婉曲的に役職や場所、方角などで呼ぶのは日本の伝統と言っても良いくらい。*2


すぐ後に“具体的な名前を出すと〜”と書いてあるのを読むと、無自覚的に書かれたというのは考えにくいので、むしろ意図的に書かれたようにも思えます。そうすると、「具体的な名前を出さない者」の名前は出すには及ばないとでもいうような考えがあるのかもしれません。


他にはブックマークコメントにも書いたけれども、優越感と客観的な優越性の関係について。客観的な優越性が無い場合にも優越感は成り立つかもしれないけれども、客観的な優越性がある場合に優越感が存在しないということがあり得るのかどうかということなども考えました。
「別に優越感とかはありません。ただ客観的に私が正しいことは明らかです。」
というのを聞いて、「ああ優越感は無かったんだ」とは思えそうにないからです。客観的な優越性が無い場合なら「優越感が無い」という言葉に信憑性は出そうですが、その場合は客観的な優越性が無い意見などの信頼性が失われそうです。


などと書いているうちに、一般的な「優越感」ではなく、限定的な「“こんなもんにだまされやがってバカじゃねーの”的優越感」についてのことだとも解釈できるかと思いました。*3その場合は、「“こんなもんにだまされやがってバカじゃねーの”的ではない優越感」の存在は必ずしも否定されないわけですが。

*1:これが明示的なタイトルかどうかは微妙だけど、「idpollyanna - pollyanna - はてなハイク」だとわかりにくいし。

*2:後半はあまり関係ないかも。それに英語でも名前で呼ばない言い方もあるみたいだけど。

*3:具体的な言及対象が明らかでないので、そうだとも断定はできませんが。