現場の判断

何となく関連のありそうな話題をいくつか。

佐藤議員の発言で僕が一番ひどいと思うのは「その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」というくだり。ここには「日本の法律」よりも自分たちの判断のほうが究極的には「正義」なのだ、という心情が透けてみえるように思います。現場が正義と判断したなら、法を無視し国民を騙してでも、自らの正義を貫徹すべきだとでも言いたいのでしょうか。

私達が何故「文民統制」を必要としているのか、実に考えさせられます。逆に考えれば、一旦現場に行ってしまえば憲法の解釈がどうこうなど言ってられなくなる、ということでもあるのでしょう。がしかし、これは少なくとも政治家が堂々と発言して許される事ではないはずです。

http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20070813/1186992490

これを読むと、現場の勝手な判断はけしからんといううような気分になります。しかし、次の話はどうでしょう。

ユダヤ人たちは大戦後、戦時中の苦しい時期に恩義を受けた人々を探し出してお礼をしていますが、杉原の発見は戦後28年を要しています。通説は千畝という名前の読みである”Chiune”がユダヤ人には発音しにくく、”Sempo”と読んでいたため発見が遅れたとされています。たしかにそういう部分もあったでしょうが、あの時のユダヤ人の感触として「杉原は我々の要求を実現するために外務省と交渉してくれたが、許可を与えたのは日本政府である」と思いこんでいたのもあるのではないでしょうか。もちろん絶体絶命の窮地、孤立無援の中、唯一杉原のみが深く同情して本国政府に懸命の交渉をしてくれたこと、また膨大なビザ発行を超人的な努力でこなしてくれたことには深い感謝をもっていたはずなんですが、一番肝心な外務省訓令に逆らってまでのビザ発行であるとは知らなかったのです。

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20070811

これなんかは、当時の外務省の方針に反した勝手な現場の判断です。しかし、それを現在の価値観で見れば正しい判断であったようにも思えます。
次は、最近のニュースです。これなんかは、なぜ現場の判断で行動しなかったのか憤慨する気持ちになります。

 新潟県中越沖地震が起きた今月16日、柏崎市が同市西山町(旧西山町)の倉庫に備蓄していた約1000人分の食糧を、当日は被災者に一切配っていなかったことが26日分かった。このため同町の避難所の約2400人に食べ物が行き渡ったのは、16日午後11時過ぎだった。市西山町事務所は「備蓄食糧があると知らなかった。もし把握していても、本庁の指示がなく配れなかったはず」と説明。備蓄を管理する本庁の担当者は「事務所が独自に対応してもよかった」と反論している。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070727k0000m040163000c.html

別々の事例に対して、別々の感想を持つことはおかしくはありませんが、共通する部分に対しての共通する見解を持つことは出来ないのかと考えます。


以前に書いた多少関連ありそうなもの
ルシファー効果


(18日追記)
現場の判断が信用できないニュースがあったので追加します。

京都府長岡京市の宅地で、NTT西日本の委託を受けた業者が7月下旬、側溝の中に電柱を立てたのを住民が見つけた。業者が17日、工事をやり直した。
 85年に立てられ古くなった道路脇の電柱の強度を増すため、太い電柱に取り換える計画だったが、地盤が固く、現場の勝手な判断で側溝に立てたという。

http://www.asahi.com/life/update/0817/OSK200708170195.html